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お友達介護の事例

■背景Aさん 50歳 直腸がん末期

■同居家族78歳実母 ワンちゃん

■主介護者実母

■主介護者のフォロー小学校以来のお友達Bさんと他の友人2名とBさんの娘Cさん(看護学生)


お母様も体調不良を抱え、Aさんを支えるにはお友達の力が絶対的に必要でした。その介護を通しての感想をBさんより頂いています。


~お友達Bさんからのメッセージ~

まず、友達介護になったのは、何よりも親子の性格が自分から進んで物事をこなす事が苦手なこと。将来の事を考えてなくここまできてしまったことによりこういう事態に親戚を頼れずにいたこと。このことにより誰かに頼らなければ病気と闘えない性格をわかっている者として友達介護が始まったのだと今思います。


そして相談や意見を求められる電話が3人の友達にバラバラにくるので収集が付かず3人の友達同士でラインにて情報交換や意見交換していました。また杏林大学病院に入院した時は、お母さんも高齢で仕事をしていたことや私たちも仕事をしており定期的に通うのは無理な時に私の娘にお願いし、毎日病室に通ってもらいました。これが私の娘が介護に仲間入りした理由です。

いつしか、この4人でAさんを取り巻く体制が出来上がっていきました。お母さんは、Aさんも心配をかけたくないという気持ちから通院は家族説明が必要な時、手術の時以外は同行しませんでした。お母さんも子供の事より自分の事を優先するタイプでした。

2012年3月の直腸癌診断から2014年9月までは、抗がん剤投与日や検査日等は一人で行き、診察で大事な話の時には私たちが付き添って受診していました。

Aさんはとても前向きで明るく、悪く言えば能天気でしたが、その性格が本人も周りも救われたのだと思います。次から次に癌が転移してもまだまだ大丈夫と諦めず闘ってきました。それが本人希望による手術となっていたのでしょう。2013年11月ごろから2014年9月までは派遣の仕事で週に2~3日の苦情処理の仕事もしておりました。この時期は卵巣摘出手術をしながらで、職場には癌の事は内緒でした。ウィッグをつけての通勤で最後は休みがちだったため9月で契約を終了させられてしまいました。本人はショックを受けていましたが私から見てこの状態でよく仕事に行っていると驚くぐらいの状態でした。

しかし、Aさんは仕事に行くことが自分をがんばらせていけると、そうでないと辛く寝てばかりだと言っていました。この時には病院いく以外、外出はしない状態でした。

そして、ストマ手術退院後1週間で外出できなくなり自宅介護が始まりました。

入院中に、今後の事を考えなくてはならないので担当医にお母さんと話を聞きたいとお願いしたのですが、友達ということで叶いませんでした。先が見えずAさんの状態が読めないまま進めていました。しかし状態から見ても厳しいと考え、介護認定やソーシャルワーカーさんへの相談、市役所関係の手続き、やっておかなくてはいけない手続きなど、沢山ある事をどんどん進めていきました。

これは非常に厳しかったです。本人はまだ1年、生きられると思っていたので私が急ぐ事に不満をもっていたことでしょう。体調もすぐれないし、やらなくてはいけないことだらけでAさんは心身共に疲れていたことと思います。

本人は自宅介護が希望でしたが、この家族構成ではとても無理だと私たちは考えホスピスを押していました。しかしここで誤算が生じました。そんなのんきな事を言っている場合ではなかったのです。ホスピスにお世話になるのはもう遅い状態でした。緩和ケアーの看護師さんやソーシャルワーカーさんのおかげで素晴らしい在宅訪問看護師さんと訪問診療の先生に出会えたのです。

そして、ここから出会い、苦しみ、楽しみ、切なさ、幸せを沢山感じた1か月がスタートしました。


今までの経緯で


大変だったこと


  1. 病気になりお母さんしかいないので、しておける事は元気なうちにしておき、ゆっくり病気と闘おうと話していましたが最終的には何もしていなかった事。

  2. 痛みとの闘いばかりでしたので本人は非常に辛かったと思います。直腸癌の痛みがなかったらもっと良かったんだろうと思いますし、麻薬量が少なく済み、終末期に入る前から記億が衰えていたこと。(大事なことが伝わってこなかった)

  3. 病気の治療で本人が迷った時などに、私たち友達同士でも意見が割れたとき。

  4. 癌発覚時や治療時に、お母さんには心配をかけたくないという気持ちから詳しい事を言いたくないという事で、お母さんの話が聞けなかった事や相談ができなかったこと。

  5. 自宅で最後辛そうで、楽にさせてあげたいという従妹の方とお母さん、私、看護師さん、先生との何度かのやり取りの気持ち。

  6. 発覚後から、従妹の方がいるので私たちがどこまで手を差しのべれば良いのか、Aさんは私たち友達に頼って来るが、お母さんが従妹の方に相談したりお願いをしていたと思うので難しかった。A さん本人は従妹の方とは付き合いも薄く、頼りたくないと言っていました。しかし、お母さんが一人になったら従妹の方に頼らなくてはならないので、頭を下げてお願いしなくてはと説得しました。最後はお母さんも従妹の方に怒られてばかりで、私に全部きてしまったこと。それを従妹の方にお願いするようにもっていくこと。老後の介護を従妹の方にしてもらえるように持っていくこと。

  7. お母さんが、軽い認知症になってきていたこと。


これにより、自宅介護のお母さん一人の時間がリスクであり、できる限り私も行かなくてはならなかった。本人がもうろうとする中、薬がもう少し上手にお母さんに飲ませてもらっていたら楽だったかもしれなかった。


良かったこと


  1. 本人が前向きで明るかったこと。

  2. Aさんにより出会いが沢山あったこと。

  3. 山田さんをはじめエルハートの皆さんや浜中先生にお世話になれたこと。

  4. 最後の1か月間を共に過ごせたこと。

  5. 何よりも最後を自宅で過ごせ、自宅で最期を迎えることができたこと。



Aさんとの会話


Aさんがよく口にしていたこと

「一緒に病院に行ってほしい」

「一緒に聞いてほしい」

「Aちゃん、がんばるね」

「あたし一人だったら全然わかんなかった」

「おねがい」

「ありがとう」


私が口にしていたこと

「できることはやっていこう」

「Aちゃんがしたいことに付き合うよ」

「やっておけば良かったという人生ではなく、やっておいて良かったという私の人生に付き合ってよ」

こういって物事を進めた。「Aちゃん!がんばろ」


お別れの挨拶 (亡くなる3日前)お母さん、私、一番の親友、丁度3人で

Aさん

「3人に話があるので来て。声が出ないのでお母さんに通訳してね」

「ブス」(お母さんに向かって)

「親不孝者でごめんね」(お母さんの両手を握りながら)


お母さん

「Aさんが何考えてるかわかんなかった。怒ってると思った。その気持ちが聞けて良かった」(お母さんを厳しく怒っていたから)


Aさん

「先生はあとどの位って言ってた?」


「先生がAちゃんに説明した通り、Aちゃんの頑張りでわからないんだよ」


Aさん

「もう辛くて頑張れない。辛いよ、もう楽になりたい」大泣き


「そうだよね、辛いよね。頑張れないよね。先生にお願いして楽にしてもらおうね」


Aさん

「そうしてほしい」

「ミーちゃん(私)まなこ(親友)ありがとう」

「向こうで待ってるね」


私・親友

「待っててね。先に行って楽しい所チェックしておいて案内してよ」

「Aちゃん!ありがとう」


Aさん

「ばーば(お母さん)チャオをお願いします」


お母さん

「大丈夫だよ、チャオをちゃんとみるからね。私が次に行くからね」


Aさん

「来なくていいよ(;一_一)」笑


3人

「ありがとう」


私と娘のCの気持ち


やはり、この家族構成で自宅にて最後を迎えるのは問題が多すぎたと思いました。Aさん本人がもう少し考えていて欲しかったのですが、これがAさんなのです。これが出来ていたらAさんではありません。

亡くなった後に、Aさんの部屋を娘と片付けた時、改めて彼女の生き方を感じました。いろいろな場面で「Aちゃん!ちょっと降りてきてここに座って。どういうこと!!」と声にだしてみたり、楽しかったです。一番思うことは、最期を自宅で過ごさせてあげて良かった。私もとても幸せでした。そしていろいろなことを学び感じさせて頂きました。山田さんやエルハートの看護師さん、濱中先生に出会えた事はAさんからの贈り物だと感じます。すべてが最高に終われました。

Aさんは私がいるときに息を引きとりました。「Aちゃんの最期をしっかりと見届け、見送る事ができました。Aちゃん!ありがとう」という気持ちです。

葬儀の最後に、従妹(次女の方)の方からのご挨拶で、「従妹としてもっと早くに出来る事があったのではないかと考えさせられました。そして支えて下さったお友達の、Bさん娘のCさん、Aちゃん、Aちゃんのお母さん、本当にありがとうございました。Aちゃんは幸せ者です。~」と言っていただいたときに「終わった。Aちゃん!頑張ったね」と心の中で叫びました。

そして、自分が予想以上にAちゃんを引きずっていることに驚いている今日この頃です。


C

Aさんは杏林大学病院に入院するのを楽しんでいました。CICUに術後いた時は、ベットが椅子のように動いたり、最新設備を楽しんでいました。

私が行ったときには、わくわくしながら説明してくれました。また、実習生との関わりも楽しそうでした。私が毎日顔を出すとき「ただいま」「おかえり」と交し合い病室に行っていました。Aさんは体を拭いてもらってり、やってもらうのが大好きで、買い物や頼まれ事もよくしました。頼ってくれるのがとても嬉しかったです。そして、Aさんの在宅看護を経験したことにより、はじめてナースになりたいと強く思いました。在宅訪問看護は山田さんに色々と教えてもらったり、体験もさせて頂きました。病院よりも患者さんに寄り添う看護だと思い、いつか在宅訪問看護師になりたいと思わせて頂いた1か月間でした。

ありがとうございました。


在宅訪問看護師、先生について

  1. 病院には病気に対しての治療、看護でしかないと母の時から感じていました。しかし、在宅では病気はもちろんの事、生活面でのアドバイスや心のケア、そして家族へのケアまでしていただきました。最初は病院とのあまりのギャップに感動して、介護する側の私たちまで涙が出そうなぐらい心温まりました。

  2. 病院では友達という他人と親族という壁があり、越えられませんでした。たまたま、その先生がそういう方だったのかもしれませんが。診察でも病室でも話をしている先生でもAさん抜きではお話しできません。と言われてしまい悲しかったです。

  3. 病院のナースコールより山田さんの対応が早かったので、私は不安はありませんでした。



在宅を選んで

Aさん本人、家族、そして私たちは感謝のみです。こんな素晴らしい事があったんだと知りました。在宅は一番理想の終わり方だと思っています。しかし、家族の負担などを考えると在宅を希望していても叶わないケースが多いと思います。Aさんが出会いの皆様たちと、自宅にて最期をおくれたことが最高の旅立ちだったと思います。Aさんのわがままを聞いてあげて私も応援してくれた私の家族も幸せを頂きました。素晴らしい時間をありがとうございました。


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